松韻高校情報

2017年9月の記事一覧

No.91 松韻祭

 今日と明日、第8回松韻祭です。オープニングセレモニーは書道部のパフォーマンスで幕を開けました。その後、クラスのPRや有志団体のステージ発表で盛り上がりました。

 


 明日は一般公開です。松韻生の一生懸命をぜひ見に来てください!

 

〈気になる言葉]

「僕は、学校には教師が生徒を力で押さえつけなければいけない場面はほとんどないと思っています。あるとしたら、命や人権を傷つける可能性がある場面だけです。このときは体を張って、時には力づくでも対応しなければならないと思います。しかし、今の学校現場を見て、些細なことで怒鳴ったり、生徒を押さえ込もうとしたりする指導がまだまだ見られ、とても残念に思います。特に若い教師の中には、『生徒になめられてはいけない』という気持ちからか、高圧的な態度で生徒に接している人も見られます。」山本崇雄『なぜ「教えない授業」が学力を伸ばすのか』日経BP 2016 p.63.

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No.90 応援の「いろは」


 ニャーオ。朝、校長室を飛び出した校長が車に向かう。何事か!? 気づかれないように吾輩も乗り込んだ(ん? どうやって乗り込んだって? そんな野暮なことは聞かないでほしいニャ~)。

 どこに行くのかと思っていたら、熊谷スポーツ文化公園に着いた。陸上の県大会が行われている。どうやら県大会に出場する松韻陸上部の応援らしい。

 

 ところが、広い会場のために選手たちがどこにいるのかわからない。応援どころか選手たちに会えずに帰ることになるのかと思っていたら、奇跡的に顧問の先生とばったり。かろうじて選手たちに声をかけることができた。

 今日は成長著しい1年生男子が出場し、明日は女子が本番らしい。陸上部は、毎朝、早い時間から練習している。その成果を発揮してほしいニャン。




 それにしても、たまたま顧問の先生に会えたから「空振り」せずに済んだが、応援に行くなら選手の出場時間くらい事前に調べていくのは当然のことのはず。校長は応援の「いろは」がわかっていないようだ。困ったもんだニャ~。


〈気になる言葉〉
「スポーツにしろ、芸能にしろ、ましてやビジネスは、あるルールのうえでの戦いである。そのなかで楽しみ、そして勝利の美酒に酔うわけである。ルールやマナーのない快楽があるとすれば、それは単なる堕落である。」須田稔『なぜ、キミは上司に好かれないのか』自由国民社 2012 p.18.

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No.89 スクールカウンセラー

 今日はスクールカウンセラーの先生が来校されました。終日、生徒・保護者の相談に対応していただきます。

 本校では、定期的にスクールカウンセラーの先生に来校していただくだけでなく、教員とは別の学校相談員の先生による対応も実施しています。

 今後も、生徒一人一人の個に応じたきめ細かい丁寧な指導を行っていいきます。

 

〈気になる言葉〉

「教師は、カウンセリングについての知見からヒントを得ながらも、カウンセラーとしてではなく、あくまでも教師として子どもとかかわることが重要なのです。」春日井敏之・伊藤美奈子編『よくわかる教育相談』ミネルヴァ書房 2011 p.6.

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No.88 3年生の気合い


 ニャンニャン。文化祭の準備がいよいよ本格化してきている。

 

 過日、3年生のあるクラスがはやばやと準備をしていた様子を紹介したが、色々な団体が準備に精を出している。

 

 この前の日曜日(9月24日)は休みの日だというのに体育館ステージ参加団体の生徒たちがリハーサルのために登校していた。とりわけ3年生は最後の文化祭ということもあり気合いが入っているようだ。楽しみだニャン!

 

〈気になる言葉〉

「哲学者のハンナ・アーレントは、『働くことには、労働と仕事と活動の3つがある』と語っています。『労働』とは人を消耗させる、できればしたくないもの。『仕事』とは、新しい価値をつくり出す創造的なこと。そして『活動』とは、社会に働きかけること。『仕事』と『活動』から、人は充実感を得ます。『仕事』や『活動』を楽しんでいる人は、肉体的には疲れていても、『疲れたように見えない』ことが多いものです。」(精神科医泉谷閑示)『PRESIDENT』2017年10月16日号 p.127.

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No.87 蓮田中学校運動会

 昨日、蓮田中学校の運動会があり、見学をさせていただきました。蓮田中学校の皆さん、お世話になりました。ありがとうございました。

 


 本校では、今週末に文化祭が開催されます! 中学生の皆さん、ぜひ、本校の頑張りを見に来てください!

〈気になる言葉〉

「何も克服せず、何も競争せず、また克服や競争の経験を自分のアイデンティティ形成に繰り込まずにすむ天国のような生活様式など、この世には存在しないのだ。」小浜逸郎『症状としての学校言説』JICC出版 1991 p.147.

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